置き薬文化の由来について知る

富山県の置き薬は独特の販売方法で知られています。

まず最初に地域を決めて、いろいろな市販薬が入ったボックスを家庭や企業などに配置します。そして、半年に1回、専門員が配置先を巡回して減った薬を補充し、減った分の料金を回収するというものです。このシステムは、江戸時代の元禄期に発明されたと伝えられており、すでに300年以上の歴史があります。
そのきっかけとなったのは、江戸城内で急な腹痛で苦しみだした三春藩主・秋田河内守輝季に、富山藩主・前田正甫が富山藩で作っている反魂丹という薬を与えたところ、たちどころに回復したという事件です。もっともこの事件は巷談(噂話)とされているので事の真偽は定かではありません。それでも反魂丹は現在でも第3種医薬品の胃腸薬として販売されています。

反魂丹はもともと室町時代に大阪堺の商人が中国の処方を学んで作ったもので、3代目が岡山藩に移り、8代目には藩のお抱え医になっています。江戸時代になり、先の前田正甫がこれを服用して効果に驚き、処方を学ばせて富山藩で独自の処方を確立し、反魂丹として完成させたのです。そして、江戸城の事件を見聞きした全国の諸大名から「自分の藩でも売って欲しい」という依頼があり、松井屋源右衛門という薬種商に製造販売を命じたというのが誕生秘話になります。

十分な流通システムがなかった時代に、この薬種商が考え出したのが「先に使って支払いは後から」という配置薬のシステムです。このシステムは十分な医薬品の流通ルートがなかった時代に、庶民の家々に医薬品を配置するという文化を生み出し、健康的な生活基盤を作ったとも言えるでしょう。そして、忙しい現代においても置き薬というシステムは活用し続けられています。さらに、置き薬の文化により、富山県は他の県と比べて医療系の求人が多いのも特徴の一つです。医療系の転職をしやすい地域であるという一面も、富山の魅力と言えます。
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